Miss.nobodyのぶろぐ

超普通の一般女性の家計簿記録です

映画『ヤング≒アダルト』感想

前回の記事で唐突にこの映画のことを思い出しました。

前にAmazonプライムで観て結構面白かったので感想を書いてみます。

 

 

 

あらすじ

37歳バツイチ独身のメイビス(シャリーズ・セロン)は都会でヤングアダルト向け小説のゴーストライターをしている。美人だけど特定の恋人もおらず、アルコール中毒気味。小説の連載も打ち切りが決定していて仕事の雲行きも怪しい。現在は最終話執筆に煮詰まっている。そんな時高校時代のボーイフレンドのバディ(パトリック・ウィルソン)から、子供が生まれたとメールを貰う。何を思ったかメイビスはバディと復縁し、自分が一番輝いていた高校時代を取り戻そうと故郷へ帰っていく…。

 

感想(ネタバレ含む)

あらすじだけでも分かると思うのですが、主人公のメイビスはかなりぶっ飛んでいます。

普通なら既婚元彼から赤ちゃん誕生の便りを貰って、落ち込むことがあったとしても略奪してやろうなんて考えません。それでも美人で学生時代ずっとスクールカーストのトップにいたメイビスは自信満々でバディを取り戻せると思っています。

メイビスは自分の故郷を田舎で閉鎖的でダサいと思っていて、そこに住み続ける住人のことも事あるごとに見下しています。そしてそこで生活している元彼バディを可哀想、自分が彼をこの田舎町という牢獄から救ってやらねばならないと本気で思い込んでいるのです。

バディの赤ちゃんのことも本気で可愛くないと思っているようで、自分の母親に「バディの赤ちゃんはもう見た?可愛かったわね」と言われて心底びっくりしたように「どこが?」と聞いて両親を唖然とさせます。

いろんな手でバディに迫り、本人に引かれてることも気付かず、彼は本当は私のことが今でも好き、子供が生まれちゃったからこの地を離れることができないだけと信じきっています。

仕事も順調とは言えませんが、メイビスはプライドが高いため、自分は売れっ子小説家で大変であるというフリをする虚言癖な一面もあります。

ただ唯一メイビスは同級生マットだけには本音で話をすることができるのです。このマットはメイビスとは正反対のカースト最下位だったオタクタイプの男性です。ゲイっぽいと言いがかりを付けられリンチにあった挙句足に障害を抱えて生きることになってしまったというなんとも哀れなマット。学生時代には全く接点もなくメイビスからしてみたら気に留める価値もなかったマット。メイビスは帰郷後、このマットには自分の作戦(バディ奪還作戦)を打ち明けます。もちろんマットはメイビスの作戦は狂ってる、やめるべきと忠告しますがメイビスはそんなマットの忠告を鼻で笑い自分の作戦を着々と進めていきます。そして事あるごとにマットに相談(相談というより自分の次の考えを一方的に話す)するのです。

結局最後までマットの忠告を無視してバディ奪還計画を進めたメイビスは赤ちゃんの誕生パーティの最中バディに迫り、はっきりと拒否され決定打を下されてしまいます。絶対にバディとは復縁できないという事実に鬱屈とするメイビスはバディの妻ベスとぶつかったさいにシルクのブラウスにワインを零されたことがきっかけで感情をぶち撒け(おまけに過去の悲しい事実も暴露)パーティー参加者をドン引きさせてその場を去ります。

自尊心がめちゃくちゃに傷ついたメイビスはマットに泣きつき慰めて貰います。翌朝キッチンでマットの妹に出くわしコーヒーを飲みながら「自分はなかなか幸せになれない。ほかの人は簡単に幸せを見つけられているのに」と弱気な発言をします。そんなメイビスのことを学生時代からずっと憧れていたマットの妹は「ベスのことは好きじゃない、あなたの方がずっと綺麗」「ここに住む人たちはつまらない生活に満足して向上心がないバカばかり。最低よ。」「あなたは美人だし有名人で特別な人」と心からの賛辞を送ります。その言葉を受けたメイビスは目が覚めたような気持ちになり、なぜ自分はこんなところにいるんだろう。都会に帰らなくてはと思い立ちます。メイビスにマット妹は「私も都会に連れて行って」とお願いしますがメイビスは「あなたはそのままここにいるのよ」と言い放ってさっさと帰っていきます。

煮詰まっていた小説の最終話を「彼氏が突然死んで主人公は新しい人生に向けて前向きに一歩歩き出す」という陳腐な結末に仕上げて颯爽と都会に向けて車を飛ばすところでこの映画が終わります。

最初から最後までメイビスは発言・行動の全てが痛々しく、アラフォーになった今でも高校時代の栄光に縋り付いて生きているのです。ただ私がこの映画から感じたことはメイビスだけが痛々しく子供っぽかったわけではないということでした。

例えばマットは40歳近くなってもフィギュア集めに没頭しています。

マットの妹はこの町はダサい、出て行きたいと文句を言いつつ都会に出ていくことはしません。30歳超えているのですから自分の力で理想の場所に行けばいいのに、いつか誰かが自分を都会へ連れて行ってくれると考えているわけです。

メイビスの母親もメイビス同様輝かしい過去に縋っているフシがあります。娘本人が嫌がっているのにすでに離婚した娘の結婚式の写真を家にでかでかと飾っているのです。「あの時は素晴らしかった」「あの頃はとても楽しかった」なんて言いながら。

メイビスの元同級生の女性たちもまだまだ大人になりきれていないように感じました。大人になった今でもメイビスのことを「女狐」「嬢王様気取りのクソ女」と憎々しい目で見て陰口をいいます。メイビスはスクールカーストトップであったかもしれませんが、おそらくイジメを働くような女性ではなかったと推測出来ます。マット曰く、高校生のメイビスは自分(イジメの対象だったマット)にまったく興味なんかない様子でいつも鏡に映る自分ばかりに夢中だったそうです。マットの妹が憧れのメイビスのロッカーにクッキーを入れたこともメイビスは全く覚えていないようでした。このことからメイビスは、自分と自分にお似合いのバディのことだけに夢中でカースト下位の人間に興味事態なかったのだろうと考えられます。興味がなければわざわざイジメをする必要も無いでしょう。自分たちをいじめていたわけでもないのに今でもメイビスを悪く思うその気持ちは嫉妬以外の何物でもないと思います。嫉妬心からメイビスを悪く言う彼女たちもまた大人になりきれていないように感じます。

バディの妻ベスも大人になりきれていない一人と言えるでしょう。彼女は自分と同じようにママ友と一緒にティーンエイジャーのような下品なバンド名で部活ごっこをしています。ライブ中は生まれたばかりの赤ちゃんをベビーシッターに預け、夜になっても「まだ帰りたくない。もう少し遊びたい」と駄々をこねます。また物語終盤にバディから「本当はメイビスのことを子供の誕生日会に呼ぶつもりなかった。ベスがメイビスが独りで可哀想だから呼んであげようというから招待状を出したんだ」と明かされます。私は正直ここが一番ゾッとしました。ベスは“離婚して独りになって可哀想なメイビス”に“メイビスの元彼と結婚して彼の子を生んだ幸せな自分”を見せつけるために呼んだんじゃないかと思ったからです。ベスはメイビスとは正反対で地味で大人しい女性として描かれていましたが、もしメイビスに自分の幸せぶりを自慢しようとするような女性だったとするとベスは物凄く性格が悪く、物凄く幼稚な考えをする人物であると考えられます。

故郷の人々がみんなしてメイビスを昔と変わらない(大人になれない痛い人)と見なしていますが、実はそんな故郷の人々も完全に大人になれていないのです。それに気付いていないのがとても皮肉だと感じました。

考えてみればメイビスは誰にも頼らず自分の力で一人都会で暮らしています。反対に故郷の人々はおそらく何かあればすぐ両親に頼るのだろうなと思います。例えば自分の子供を預けたい時なんかは特に。どちらが大人なんだろうと思うと、一人生活できてるメイビスの方が自立という意味では大人なんじゃないかと思います。

そしてこの映画は視聴者にも「あなたは本当に大人?」と問いかけているような気がします。少なくとも私はメイビスに共感する部分もありました。この映画を見てメイビスの言動に「痛い」「見ていて恥ずかしい」と思うのは自分の中にもメイビスのような一面があるからかなと思いました。この映画のキャッチコピーは「あなたは私を笑えない」というものなのですが、まさにその通りですね。私もメイビスを笑えないし、故郷の人々もまたメイビスを笑う資格はないのです。